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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)9484号 判決 1979年2月27日

原告

佐野よし

右訴訟代理人

下光軍二

外五名

被告

藤原隆司

右訴訟代理人

萩原平

外三名

主文

被告は原告に対し、四〇万円及びこれに対する昭和四九年四月一日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。訴訟費用はこれを五分しその四を原告の、その余を被告の各負担とする。

この判決は第一項に限り原告において一〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一権利金残額一〇〇万円の請求について。<省略>

二慰藉料請求について

1  本件工場と隣接地の状況

当事者間に争いのない事実の外、<証拠>を総合すると以下の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告は昭和二八年頃から同四九年三月に肩書地に転居するまでの間隣接地に居住し、その間の昭和四七年一二月頃から同四八年一月頃までは本件建物二階の原告部分に居住していた。被告は原告より本件土地を昭和四一年七月頃賃借すると間もなく本件土地上の旧建物を取り毀して本件建物を建築し、本件建物一階部分の本件工場を訴外会社に使用させ、訴外会社はその頃合成樹脂加工業の操業を右工場にて開始した。訴外会社は昭和三五年七月設立されて以来、取締役は被告一人のいわゆる個人企業であつて、被告は訴外会社の取締役としてその指揮、命令の下に右会社の運営にあたるとともに、自らも本件工場において作業をなし、直接従業員を監督し、指揮、命令して使用していた。

(二)  本件工場において使用される機械及び従業員数は年とともに推移しているが、これを順次列挙すると

(1) 昭和四一年七月頃の操業開始時

昇降盤、フライス盤、旋盤、グラインダー、換気扇各一台、ボール盤二台、従業員八名。

(2) 昭和四五年一〇月

コンプレツサー、グラインダー、フライス盤各一台及び彫刻機五台を各増設。従業員一二名。

(3) 昭和四八年三月二〇日当時

ペンチレス、ボール盤、パフを各一台増設。

(4) 昭和四九年八月

ボール盤、ルームクーラーを各一台増設。従業員七名。

右機械のうちコンプレツサーは昭和四一年七月から昭和四五年六月までの間に増設されたが、当初は本件工場外に設置され、昭和四五年一〇月に工場建物内部へ移動し、他の機械はすべて工場建物内部に設置されていた。なおポータブル電動丸鋸も本件工場において使用されていた。右(1)の工場設置については工場公害防止条例四条の規定により品川区長の認可を得、(2)及び(4)の機械の増設については東京都公害防止条例二三条、二四条による知事の認可を得、更に公害防止設備について検査を経た上、二六条による認定を受けたが、(3)の機械増設はかかる手続を経ていない。

(三)  本件工場側面から本件土地と隣接地との境界線まではおよそ四五センチメートルほどの距離であり、本件建物は木造二階建、隣接地上の原告の居住していた建物も木造二階建である。本件建物二階は原告部分は原告がこれを他へ賃貸し(昭和四七年一二月から同四八年一月までは原告が居住した)、その他の部分は被告家族の居住用に使用されていた。

本件工場内において作動する前記各機械から発生する騒音を防止するための建物上の設備としては、

(1) 本件建物の建築時(昭和四一年七月)

側壁をラスモルタル塗で厚さ二センチメートル以上とし、屋根部分は厚型スレート瓦を使用、工場天井には吸音テツクス、同じく内壁には石骨ボードを使用した。

(2) 昭和四三年五月頃

本件工場の隣接地の側面窓にゴムで目張りをして、その上に吸音テツクスを張り、二重窓とした。

(3) 昭和四四年一〇月頃

工場の隣接地側の側面窓に更にスレートを張つて三重窓にした。

(4) 昭和四五年一〇月頃

工場の隣接地側の側面に厚さ三〇ミリメートルの木毛セメント板を貼り付けた。

(5) 昭和四九年八月頃

工場の隣接地側の側面窓をつぶして閉鎖した。

などの諸措置がとられている(なお、本件土地と隣接地との境界線上には、高さ約二メートルのブロツク塀が存する。)。

2  騒音及び悪臭の発生

当事者間に争いのない事実の外、<証拠>を総合すると以下の事実が認められる。

(一)  本件工場での主な作業は材料に主としてプラスチツク板を用い、これを昇降盤により切断し、フライス盤、旋盤で削り、ボール盤で穴をあけ、彫刻機によつて目盛加工をなし、時としてコンプレツサーを用いて塗料の吹付をなした上パフを用いて乾燥研磨し、又工具を研磨するためにグラインダーを用いることなどであるが、これら原動機を使用する機械のうち、昇降盤、旋盤、コンプレツサーは特に作動によつて発生する騒音の音量が大きく、発生源から一メートルの工場内部で測定すると、昇降盤及び旋盤は七八ホーンから八八ホーン、コンプレツサーは七九ホーンほどである。

(二)  コンプレツサーを用いての塗料の吹付作業は、少なくとも昭和四五年七月頃から昭和四八年夏頃まで(もつとも昭和四七年一二月から昭和四八年一月までの間については後述)は週に一回程度、毎回五分ないし一〇分位なされており、その際には塗料の溶剤としてラツカーシンナーを使用するため、その成分中に含まれるトルエン、キシレン等のガスにより悪臭が発生する。昭和四五年にコンプレツサーを工場内部に設置する以前は、右塗料吹付作業は屋外でなされていたものと推認され、屋内にコンプレツサーを設置した後にも工場内部でストーブなどを使用している場合など危険を伴なう際などには、時として小規模な塗料吹付作業は、スプレーガンを屋外へ出してなされたこともある。原告が本件建物の原告部分に居住していた昭和四七年一二月から昭和四八年一月までの間には、同月一五日に右作業がなされたが、この時は事前に原告の了承を得た。

(三)  本件工場の操業時間は、昭和四一年六月二日付の品川区工場台帳によると午前八時から午後五時までとなつているが、操業当初から残業をなす方が通例であり、殊に昭和四三年五月以降昭和四五年三月頃までの間には午後一〇時ないし一一時頃、時としては深夜まで作業が及ぶこともあつた。

<証拠>中には、昭和四四年、四五年頃には本件工場の操業は午前一時あるいは二時頃まで及ぶことが普通であつた旨の供述部分が存するが、<証拠>に照らすと、時としてかかる深夜まで作業が及ぶことがあつたとしても、これが常態であつたとまで認定することはできず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

3  騒音の音量及び悪臭の程度

原告が本訴において請求しているのは、原告自身が本件工場より発生する騒音及び悪臭により、精神的、肉体的苦痛を受けたことに対する慰藉料であるから、本件工場からの騒音か原告に対し右の如き苦痛を与えたものであるか否かは、原告が昭和四一年七月の本件工場操業開始以降、同四九年三月他へ転居するまでの間常時生活の場としていた隣接地上の建物における音量あるいは悪臭を基準として判断しなければならない。なお原告は昭和四七年一二月から同四八年一月までの間本件二階の原告部分に居住していたことが、前述のとおり認められるので、右期間中は、原告部分における音量あるいは悪臭を基準とすべきである。

(一)  騒音の音量

まず、原告の居住していた隣接地上の建物において、本件工場から発生する騒音がどの程度であつたかを検討する。

当事者間に争いのない事実の外、前掲各証拠によると、東京都品川区公害課職員が原告の苦情申立により本件工場へ出張して鑑定した結果は次のとおりであつたことが認められる。

(1) 昭和四五年三月六日

本件土地と隣接地との境界線上で五四ホーン。

(2) 昭和四五年四月一六日

境界線上で五〇ホーン。

(3) 昭和四五年一〇月一五日

境界線上で五〇ホーン。

(4) 昭和四九年九月一七日

境界線上で四八ホーン。本件工場北側道路の工場入口扉付近の地点で四六ホーン。(但し、以上はいずれも昼間の測定である。)

(5) 昭和四八年七月二六日午後九時頃

工場外で五〇ホーン程度。

以上のとおり、前認定の本件工場の騒音防止のための設備がなされるに応じて騒音も逐次小さくなる傾向にあつたものと認めることができるが、少なくとも昭和四五年以降は、本件工場の機械作業がなされる際には昼夜を問わず(夜間の場合騒音の発生を減じるよう特に配慮されたことを認めるべき証拠はない)、五〇ホーン程度の騒音が原告の居住する隣接地上の建物まで侵入していたものと認められる。

原告はその本人尋問(第一回)において、右騒音は八〇ないし六〇ホーンであつたと供述し、原告作成の書面である甲第一三号証の一、二にも同旨の記載がみられるが、これを裏付ける客観的資料を欠いているし、前掲各証拠に照らすとこれらは容易に措信できない。検甲号証の各録音テープは騒音の音量を証するものではなく、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

次に原告部分において本件工場から発生する騒音がどの程度であつたかを検討するに、前掲各証拠によると原告部分の騒音が少なくとも前認定の本件土地及び隣接地の境界線上におけるそれとほぼ同程度であつたことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  悪臭の程度

コンプレツサーを用いて塗料の吹付作業がなされると、溶剤として使用するシンナーより生ずる臭気ガスは、コンプレツサーが屋外に設置されていた昭和四五年頃までは外界を通じ、屋内に設置された右時点以降は本件工場の天井のすき間等から本件建物二階部分に侵入したであろうことは、気体の性質上推認するに難くなく、又<証拠>によつても裏付けられるところである。一方、前認定のとおり、塗料吹付作業の回数及び昭和四五年以降は通常は屋内作業であつたことなどを考慮すると、隣接地上の建物内にガスが侵入し悪臭がただようことが仮にあつたとしても、その程度は極めて小さかつたものと推認される。

4  騒音及び悪臭の違法性

一般に工場の操業に伴ない騒音あるいは悪臭が発生し、これが工場外の他人の利益を侵害する場合でも、一定限度以上の騒音あるいは悪臭であるとの一事をもつて直ちに違法なものとするのは適当でなく、健全な社会通念に照らして一般人において社会生活を営む上で受忍するのが相当であると認められる限度を超える場合にはじめて違法となるものと解すべきである。

そこで以下、本件工場から発生する騒音及び悪臭が右受忍の限度を超えているかどうかにつき検討する。

(一)  行政的取締法規の定め

<証拠>によると次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 本件工場付近は都市計画法上の住居地域の指定を受けており、本件工場は、東京都公害防止条例(昭和四五年四月一日施行)に定めるところの工場に該当するところ、本件工場付近の環境騒音は、昭和四五年四月当時で五〇ホーンから六〇ホーン、同年一〇月の時点で五〇ホーン、同四九年九月の時点で四五ホーンであるから、これを平均するとおよそ環境騒音は五〇ホーン程度であるものと認められ、然らば東京都公害防止条例一八条別表四に掲げられているように、本件工場の敷地と隣地との境界線における音量は、午前八時から午後七時までは五〇ホーン、その他の時間帯は四五ホーンに制限される。なお右表によると住居地域内に所在する学校の敷地の周囲おおむね五〇メートルの区域内に係る音量は、右規制音量から更に五ホーンを減じたものとなるところ、<証拠>によると、本件工場と立正学園の敷地との間の距離はおよそ五〇メートルであることが認められる。

(2) 建築基準法四八条三項(別表第二(は))によれば、住居地域内には出力の合計が0.75キロワツト以下の原動機を使用する塗料の吹付あるいは原動機を使用しての合成樹脂の乾燥研磨作業を行う工場を建築してはならない旨の規定があるところ、本件工場においで塗料吹付に使用しているコンプレツサーは出力0.75キロワツトであり、合成樹脂の乾燥研磨に使用しているパフは原動機を使用するものである。

(3) 以上の行政取締法規の規定のうち、東京都公害防止条例が前述のとおり学校敷地からおおむね五〇メートルの区域内の騒音規制を厳しくしているのは、学校の静穏を保つことを目的としたものであるから、原告の居住する隣接地における騒音の受忍限度を考察するにあたつては、右規制の範囲を超えるか否かか直ちにその基準となるものではない。又建築基準法の前記規定は、右法が直接騒音あるいは悪臭の発生を規制するものであるか否かは別としても、良好な住居の環境が害されることを防止しようとする同規定の趣旨に照し、受忍限度の範囲を決定する上での一つの基準となるものといえる。

(二)  本件工場の所在地の地域性と四囲の環境

当事者間に争いのない事実の外、前掲各証拠によると、本件工場の存する地域は都市計画法上の住居地域の指定を受けているが、本件工場の外、その南側を流れる立会川をへだてて向かい側に旗の台製作所、共栄工業、更にこれより五〇メートルの距離には茨木製作所の各工場が存し、旗の台製作所からは設備機械より生ずる切削音、共栄工業からはハンマーによる打撃音、茨木製作所からはプレスから生ずる騒音がいずれも原告の居住する隣接地まで達し、昭和四四年八月一四日の時点では、隣接地の境界線上で測定しても、共栄工業の工場より発する騒音は五八ホーンであつたこと、本件工場から一〇〇メートルの範囲内には前記各工場の外にも四カ所ほどの工場が存し、前認定のとおり原告居住の隣接地における環境騒音は平均すると五〇ホーンほどであつたことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  原告と被告間の交渉経過等

本件の如く、近隣から発生する騒音等が紛争の原因となる場合には、騒音等を出す側にあつてはできるだけ隣人に迷惑のかからないよう方策を講じ、他方隣人としても忍ぶべきは忍んで無用の摩擦を避けるなど、互いに譲り合うことによつて紛争を回避ないし収拾することが最も望まれることである。従つて、本件騒音及び悪臭が前記受忍限度を超えているか否かを判断するにあたつては、前認定の騒音等の程度、発生時期などの考察にとどまらずに、更に本件紛争に至るまでの経緯と紛争解決についての両者の態度等もまた総合的に考察されなくてはならない。

当事者に争いのない事実の外、<証拠>によると以下の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 被告が昭和四一年七月に原告から本件土地を賃借した当時は、被告はこの土地上に工場を建てて合成樹脂加工業を営む目的を有し、原告はこれに協力する意味で前認定のとおり、他から賃借していた本件土地を買取つた上で被告に賃貸したもので、被告は妻が原告と従姉妹の関係にあつたこと、原告が一人暮しであつたこともあつて、将来は原告の食事の面倒もみようというほどに両者は親しく親戚付合いをしていた。

(2) その後前記一のとおり、権利金を一二〇万円増額することにつき両者間に紛争が生じ、原告は昭和四二年四月大森簡易裁判所に調停を申立てたが、その頃から前記の如き両者間の親しい親戚付合いにはひびが入りつつある状態となつた。

昭和四三年五月一六日、前記一のとおり原、被告間で調停が成立したが、右調停において原告は被告に対し原告部分の使用に関して騒音、臭気等について苦情を言わない旨約した。

(3) 右調停成立後、前認定のとおり本件工場における操業が午後一〇時ないし一一時頃まで、時には深夜にまで及ぶこともあつたため、原告は後記5の被害を受け、これがためもあつて、原、被告の関係には決定的なひびが入り、原告は被告に対し、弁護士を通じて内容証明郵便などにて騒音防止の為の措置をとるよう要求し、あるいは昭和四四年四月一日に設置された品川区公害課を通じ騒音防止の為の申入れを被告に対してしばしばなすところとなり、被告は右要求あるいは品川区公害課の指導によつて前認定の如き工場設備の改善を行ない、右により本件工場外へ洩れる騒音の音量も逐次減少していつた。

(4) 原告は昭和四四年九月被告を相手方とし、東京簡易裁判所に対し騒音の差止及び騒音被害による慰藉料一〇〇万円の支払を求めて調停の申立てをなし(これは結局不調に終り、本訴が提起された)、又昭和四五年四月一三日には品川区役所建設部長室で、同区職員立会の上被告に対し、本件工場での騒音の出る作業時間を午前八時から午後八時までとし、午後八時以降は極力騒音を発しないようにすること、深夜作業は原則として行なわないことを申入れ、被告は同月二七日同職員に対し、右申入れ事項を遵守する旨の回答をした。その際には同区職員の指導により、右事項不励行時は、原告が被告に直接注意をすること、午後八時以降の騒音の出る作業あるいは深夜作業をなす必要のある場合には被告は原告に事前に了解をとることとの確認が両者間になされた。

その後昭和四五年中の作業状況については明らかでない。

昭和四六年八月及び同年九月には本件工場で各二〜三回宛コンプレツサーを用いての塗料吹付作業が原告への事前連絡の上または無断でなされた旨原告から品川区公害課へ通報がなされ、同年八月二五日に同課職員が本件工場に赴いて吹付作業を確認し、同年九月二回にわたり、原告の通報により、訴外会社に電話で注意をした。

昭和四七年一月から六月まで及び一一月に毎月ほぼ一回宛原告から品川区公害課へ本件工場で吹付塗装がなされている旨もしくは窓が開放されたまま作業がなされているので騒音が高い旨の通報がなされ、同課職員が同年一月および二月に電話で訴外会社に対して注意をなし、また同年六月六日には本件工場へ赴いたが、その際には吹付作業をしていたような形跡はみられなかつた。これらの外同年三月中少なくとも三回にわたり、また同年一一月には一回、少なくとも本件工場内で午後八時ないし一〇時まで吹付塗装作業が行われた。

昭和四八年一月一八日品川区公害課は原告より電話にて、被告が同月一五日吹付塗装作業をなすにつき了承した旨の連絡を受けた。

その後同年一一月まで殆んど毎月一回ないし五回原告から品川区公害課へ電話があり、本件工場における夜間作業、窓を開放したままの作業、戸外における切断作業等による騒音について通報があり、同課職員が同年三月二〇日実査し、使用機械の中パフについて建築基準法上住居地域における使用制限があるとして使用中止を指示し、同年五月二四日実査し、訴外会社従業員が戸外でポータブル電動丸鋸を使用して塩化ビニールのパイプを切断していたこと、本件工場の出入口を開放したまま作業していたことを確認した。この外原告は同年三月から一一月まで毎月一回ないし十数回にわたつて、本件工場に赴き、被告ないし他の作業員に対して夜間作業による騒音やシンナー使用による悪臭につき苦情を申入れ、注意を喚起したが、この間本件工場における作業は午後八時をこえて九時まで行われることが多く、時には一一時近くまで行われたこともあつた。

(四) 以上の認定の事実を総合して考えると、前記1のとおり、被告は昭和四一年六月本件工場の設置認可を受け、爾後原告の要求や品川区建設部公害課の指導により逐次公害防止措置を施し、昭和四五年一〇月及び昭和四九年八月機械設備の増設に伴い、東京都公害防止条例にもとづき東京都知事の公害防止措置についての検査を経た上で、工場変更の認可、認定を受けたものであり、昼間の操業については少なくとも昭和四五年四月以降は概ね騒音規制値内であつたものといえる。もつとも同年三月六日の測定値が五四ホーンであつたことからみて同日以前の本件工場の操業による騒音は規制値の五〇ホーンを超えることがあつたことは推認されるが、これを大幅に超えていたことを認めるに足りる確証はなく、前記測定値は前記(二)の環境騒音の測定値(測定時期を異にするがほぼ同程度と推認される)を考慮すれば、昼間の音量としては、受忍限度をこえるものとはにわかに断じ難い。しかしながら、前記調停の成立した昭和四三年五月頃からは少なくとも本件工場操業が午後八時以降に及ぶことがしばしばあり、後記のとおり被告は同年一二月から同四五雪三月まで安眠を求めて夜間のみ近辺に部屋を賃借するまでしていること、昭和四四年九月に東京簡易裁判所に騒音差止等を求めて調停の申立てをなすと共に同年一二月五日品川区公害課に苦情申立をなし以降同課職員指導の下に話し合つた結果、前記のとおり昭和四五年四月操業時間に関し、原、被告間の申し合わせが行なわれたこと等に照すと、少なくとも昭和四三年五月以降昭和四五年四月までの間に本件工場の操業により発生した騒音のうち、午後八時以降の操業によるものの多くは、原告が隣人として社会生活を営む上で受忍すべき限度を超えていたものと認められる。又同じく前判示したところによると、昭和四五年四月二七日以降、原告が隣接地から他へ転居した同四九年三月までの間の本件工場の操業により発生した騒音のうち、午後八時以降の操業によるものの多くは、前同様受忍限度を超えていたものと認められ、いずれも違法なものであつたといわなくてはならない。

(五)  本件工場の操業により発生した悪臭については、原告が本件建物の原告部分に居住していた昭和四七年一二月から昭和四八年一月までの間には、前記のとおり同月一五日訴外会社が原告の了承の下に吹付塗装作業を一回行つたことがあるほかには右作業を行つた形跡を認めるに足りないし、右期間以外の時期に本件工場の内外で行われた吹付塗装作業により、原告の居住する隣接地上に侵入した悪臭の程度、これにより原告の被害の内容等ひいてはその違法性を適確に判断するに足りる証拠がない。

5  騒音による原告の被害

<証拠>によると、原告は本件工場からの前記騒音が夜間も原告の居住する建物内に侵入するため、静穏な生活が害され、殊に昭和四三年一〇月二日から同年一一月六日まで不眠症で通院加療したことがあり、睡眠をとるためやむを得ず昭和四三年一二月から同四五年三月までは付近に別に部屋を賃借して夜間のみはそこで就寝するなどの生活を余儀なくされたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

6  被告の不法行為責任

被告は訴外会社の代表者であつて、法人の不法行為は本来法人の機関の不法行為によるものと考えられるところ、本件不法行為は、結局、訴外会社の設立以来唯一人の代表者たる被告が中心となつて自らもしくは訴外会社の従業員を指揮監督して前記作業をなしたことによるものであるから、被告は訴外会社取締役としてその職務を執行するにあたり原告に与えた損害につきこれを賠償する義務があるものである。

7  慰藉料額

以上認定した本件騒音の程度、その発生期間、時間、被害の状況の外原告が本件土地を被告に賃貸するに際し、被告が本件工場で騒音の発生を伴うことが予想された合成樹脂加工の作業を行うことを承知していたこと、昭和四三年五月一六日成立した調停において原告は原告部分の使用に関して騒音、臭気等について苦情をいわない旨約し、少なくとも従前の騒音等については慰藉料請求権を放棄したとみられること、品川区職員の指導に従い、被告においても逐次騒音防止の為の措置を講じていたこと等本件にあらわれた一切の事実を考慮すると、本件工場から発生する騒音によつて原告の蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料としては四〇万円が相当と認める。

8  結び

よつて、原告の本件慰藉料請求は、被告に対し四〇万円及びこれに対する原告が隣接地から他へ転居した(被害の最終発生日)後である昭和四九年四月一日以降支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

三差止請求について。

(一) 前二において認定した事実の外、<証拠>を総合すると、訴外会社は昭和五三年四月頃まで本件工場において合成樹脂加工業の操業を行なつていたが、昭和五三年四月三〇日、同年五月三一日の二度にわたり資金不足による支払手形の決済ができずいわゆる不渡手形を出したために、同年六月五目をもつて訴外社団法人東京銀行協会から銀行取引を停止され、事実上倒産するに至つたこと、そこで訴外会社の従業員は全員退職するとともに訴外会社所有の設備、機械は会社債権者の管理に移され、訴外会社の営業活動は停止し、以後は被告個人が債権者の許可を得た上で本件工場を使用して合成樹脂加工業を営んでいること、その作業は前同様材料としてプラスチツクを用いるものが多く、昇降盤、旋盤、彫刻機、ボール盤などの機械を使用し、ラツカー、エナメルを彩色の為に使用したり、市販のスプレーで数秒ほど吹付塗装するなどの内容であるが、訴外会社が作業していた当時とくらべると仕事の量が極端に減少したため、一日の作業時間は四、五時間ほどであり、作業が早朝、深夜に及ぶことはないこと、又被告一人で作業するため同時に二台以上の機械が作動することは、時々手伝いの者が来る時のほかはなく、又彫刻機は二、三時間継続して使用することはあるが、ほかは一回に一〇分程度機械を動かしているにすぎないこと、コンプレツサーは彫刻機の使用によつて生じたプラスチツクのごみを吹き飛ばすために一回につき数秒、一日合計しても五分程度使用しているにすぎないこと、本件工場を訴外会社の債権者が使用することもあるが、これも早朝、深夜に及ぶことはないこと、訴外会社が事実上の倒産状態にある現状においては、被告が個人として本件工場での合成樹脂加工業を現在以上に拡張していく目途は全く立つていないことが認められる。<証拠>中には右認定に反するかの如き部分も存するが、原告は現在横浜市に居住しているので、本件工場における作業の状況につき常に見分できる立場にはなく、昭和五三年中には四、五回本件工場内を見たというのみで、右のうち最も遅い時刻であつても午後六時であつたというのであるから、右供述をもつてしても前記認定を覆すには足りず、昭和五三年七月一七日撮影の本件工場の写真も右認定を妨げるものではなく、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  そうすると、訴外会社ないし被告は本件口頭弁論終結時において①本件土地内における午後八時から午前七時までの間の別紙機械目録記載の機械器具その他これに類する原動機の作動②原動機を使用する塗料の吹付作業及び合成樹脂の乾燥研磨作業のいずれも現になしていないし、又今後においても訴外会社ないし被告が右作業をなすとの具体的な状況も存在しないのであるから、これらの事実の存在を前提とする原告の本件差止請求はその余の点について判断を加えるまでもなく、失当というべきであつて棄却を免れない。

四以上の次第で、原告の本訴請求は被告に対し四〇万円及びこれに対する昭和四九年四月一日以降支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(佐藤安弘 小田泰機 高林龍)

別紙<省略>

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